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会社が消滅するときの話 

長いサラリーマン生活で自分は、金融系エンジニアとして多くの企業の中心に入り込み システムを設計し構築、稼働させてきました。

その中で9.11、Web2.0の熱狂の後始末、リーマンショック

この3つの出来事で多くの取引先企業が消滅しました。
その現場に入っていて感じた「会社が消滅するときの話」お話しいたします。

9.11

2001年9月11日朝(米国東)その事件は発生した。
自分は、珍しく自宅でNHKニュースを見ていましたが、目の前で2機目の旅客機が貿易センタービルに突っ込んでくるのも目撃しました。

株式、為替、商品先物取引など世界中で大混乱となりました。
翌朝から担当していた商品先物取引会社に出向くと
NY支店で犠牲者が出たということで大騒ぎ 電話が殺到し先物価格は、この後に起きる戦争を見越して原油などが急上昇

しかし、その会社 9.11を乗り切ったものの 商品先物取引の規制が厳しくなり 業界から消えて行くこととなりました。

一時期は、御殿のような自社ビルだったり、高給○ープのような豪華な社長室だったりした企業もその後 規制強化で消えて行きました。

最期には、東京穀物取引所までも消滅 国内の商品先物取引は、逆風となり 多くの企業が廃業しました。

廃業した会社にあいさつに行きましたが、それは、混乱した状況でした。
しかし、廃業する会社に来る取引会社などなく 自分たちが行ったことで大変感謝されました。

もう取引がなくなるからと言っても業界は狭いのですから最期のあいさつは重要です。

豪華な自社ビルも人手に渡り、同業者が集まっていた人形町界隈も様変わりしました。
いろいろな意味で会社と言うより業界の浮き沈みを目の前で目撃できたことは貴重な体験でした。

まさか たった数年で商品先物業界がほぼ壊滅状態になるとは思いませんでした。

Web2.0の熱狂の後始末

Web 2.0(ウェブ にーてんぜろ)とは、2000年代中頃以降における、ウェブの新しい利用法を指す流行語である。Darcy DiNucciにより1999年に造られ、2004年のWeb 2.0 Conferenceにより広まり、その後3年間ほど流行した。

Web2.0は、熱狂的であった。
このタイミングでスタートアップ企業が次々と出てきました。

自分も知り合いから誘いを受け その波に乗っかった一人です。

とにかく儲かった。

ニッチな専門分野に絞り込んだことが成功 シェア50%以上を獲得した。

7人で始めた会社が3年後に100人を超えるという急成長を遂げる。

そのかわり一週間も帰れない日々が続く

しかし、アゲアゲはいつまでも続かない
まだこれからというところで 2006年のライブドア事件で水を差されれ
ライバル企業の増加により売り上げが急降下

そしてこの後にやってきたあの日を境に転落して行くこととなるのです。

リーマンショック

2008年9月15日に起きた米投資銀行リーマン・ブラザーズの経営破綻を機に、世界的な金融危機と不況に発展した現象のこと。 巨大金融機関への救済措置がとられなかったことで市場参加者に不安が広がり、企業にお金が出回らなくなる信用収縮が深刻化した。

リーマンショック
金融系エンジニアにとって悪夢としか思えない事件であった。
兆候はあったにしろ ここまで一気に落ち込むとは誰も想像できなかった。

取引先のフランスの金融機関は、即座に日本支社撤退
撤退を発表してから1週間後に日本支社は消え去りました。

外資系企業の動きの速さには驚くばかりです。
担当者は
「先週告知があって 来週でこのオフィスともお別れで 職探しです」

海外企業でよく見る
段ボールに私物をつめて彼は去って行きました。

しかし、大規模なシステムを請け負っていた自社は大打撃を受け転落が始まります。

その後の数年間は、事業縮小、早期退職で半分が会社を去り、オフィスも移転することになる。

まとめ

自分が所属したスタートアップ企業は、従業員の60%が去り、今は別会社に吸収され 社名が残っていますが、あの当時の勢いは残っていません。

自分は、立ち上げから最盛期を経て急激に下降線をたどる状況のまっただ中で 多くの部下を持ち自ら最前線に立っていました。

早期退職で自分の部署が解散 その後1年間 後始末をして退社しました。

ITエンジニアとして最高に充実した時期もあったことがよい思い出です。

今は、小さな会社で社内SEとして嘱託として働いています。
給与も下がり 厳しい生活ですが、まぁ 現役で仕事ができる限り続けて行こうと思っています。

最期まで読んでいただきありがとうございました。

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