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傷害事件が目の前で発生 昭和のシステムエンジニアが体験した怖い世界

自分は、金融系システムエンジニアとして長い間仕事をしてました。

金融系と行ってもピンキリで上場会社や外資系、一方、グレイに近い会社とも付き合いがありました。

今回のお話は、自分が体験した数々の事案の中でもっとも危険かつヤバい事件をお話しします。
最後まで読んでいただけたら幸いです。

商品先物取引

商品先物取引 ってご存じですか?

金をはじめとする、貴金属や工業金属、ガソリン、灯油などの燃料、大豆、小豆、トウモロコシ、珈琲などなどを取り扱う市場です。

ウィキペディアによると

商品先物取引(しょうひんさきものとりひき)は、農産物や鉱工業材料等の商品を将来の一定日時に一定の価格で売買することを現時点で約束する取引であり、先物取引(Futures)の一種である。

日本の高度成長時代では、これらの取引は、価格安定のため非常に重要な役割を果たしておりました。

一方、取り扱い金額が半端なく大きいので、財産を失い、路頭に迷い、自殺など アンダーな部分もあったことは事実です。
※現在は、厳しく監視されているのでほとんどなくなりました。

昭和の時代に商品先物取引業界のシステムを担当してきた自分は、この暗黒面を垣間見てきました。

何人殺した?

昭和の時代、商品先物取引会社のいくつかは、社会問題になりました。
詐欺まがいの事件もあり 「豊田商事事件」など殺人まで発生した事件もありました。

商品先物取引の会社のなかでこんな会話を聞いたことがあります。

「あの○○部長 3人○して 部長になったんだよ」

こ。。。○した?

もう意味わからない

電話に手錠

商品先物取引に失敗すると莫大な損失を生みます。
正直、個人で行う取引絵はないのですが、小金持ちの人を勧誘して、取引に参加させてきたという経緯があります。

営業も激烈で 電話に手錠をつけて 何百件と電話しないと手錠を外さない
なんて ことも見てきました。

今では、想像もできないノルマと賞罰の営業です。

金持ちからカネを引っ張り,相場に巻き込み カネをむしり取る。
なんてことが 日常茶飯事です。
※今の話ではなく、30年前の話です。

インターネット時代

1995年 Windows95の登場でインターネットが使われるようになりました。

自分は、ある知り合いから誘われて 会社立ち上げの(ほぼ)初期メンバーに呼ばれました。
インターネットを使って金融取引を行う。

おそらく,日本でも 最初期の取り組みでした。

商品先物取引のネット取引の仕組みを作成しパッケージとして販売、保守作業を実施
めちゃくちゃ忙しかったけど儲かりました。

7名で始めた会社は、倍々ゲームで売り上げが上昇 5年で100人を超す企業に成長しました。

しかし、ネット取引をよく思わない人達がいたことも事実です。

妨害事件

インターネットで商品先物取引の仕組みを構築したわけですが、同時に取引時の手数料の価格破壊を起こしてしまいました。

例えば、金1枚(1Kg)の取引が、7000円から8000円だったのを インターネット取引では1900円という値段にしてしまいました。

怒ったのは、営業の人達でこれまでかなりの歩合制で儲けていたわけですが、顧客がネットに流れ始めたのです。

営業のほとんどは,歩合制なので自分の収入が減るわけです。

そんなもの 許せるわけもなく、会社の中で機器を破壊、回線を切断などが行われました。

すべては、社内の事案なので どういう解決をしたかわかりませんが、営業のひとに

「お前ら これ以上 余計なことをすると どうなるかわかっているよな」

なんて脅されたこともあります。

商品先物取引の世界では、ヤバそうな人も多く、相場師とかお会いしたこともあります。
正直、堅気のひとではなく 妙にやさしいことが怖かった。

殺人未遂

ある、有名商社の名前の商品先物の会社でのお話です。
ネット取引のシステムを導入するために、担当者と打ち合わせをしていたときです。

「○○さん お客様がお見えです」
と担当者の○○さんが呼び出された。

「ちょっと 席を外します」

有名商社系商品先物会社だけあって 対応がきちんとしています。
と 数分後

「○○が刺された」
という怒号が社内に鳴り響く

血まみれの床

声のする方をみると犯人と思われる男が社員によって取り押さえられ殴られていました。
男のそばにうずくまったいたのが、担当者の○○さん

床は、血に染まり 社員の何人かは、服を血で汚していた。

救急車と警察がかけつけ○○さんは搬送されて行く
同時に警察が、現場検証と調書をとりはじめた。

自分も数分前まで話していたこともあって 刑事らしき人に別室で質問されることになる。

「きみと○○さんの関係は・・・」

自分は、システム開発会社でネット取引の導入について打ち合わせをしてきたことを話すとすぐに解放された。

と言っても現場検証が終わるまで足止め

やがて、解放され 自社に戻り経緯を話す

「今日は、もう帰っていいから ゆっくり休んで」

と社長に言われる。

あとから社長に
「あのときは、震えていたぞ」

そりゃそうですよ 殺人(未遂)を目撃したわけですから

震えもします。

事後

○○さんは、重傷で半年の入院後 会社を辞めて 自分の前から姿を消しました。

話によると ○○さんの昔の顧客でおおきな損をさせられた と恨みの犯行だということでした。

犯人は、全財産を無くし、借金を抱え、家族崩壊の末の犯行だったそうです。

穏やかそうな○○さんでしたが、営業時代の恨みが数年後 殺人未遂という結果に繋がったわけです。

その事件以降 担当顧客の会社に出向くときは、必ず2人組で行くことになりました。

「お前のつくった取引システムのせいで 破産したぞ」
なんて なりかねない状態だったからです。

まとめ

今回は、過去に起きた 殺人未遂事件に遭遇したという話を書きました。

家族には
「あぶない仕事やめて」
と言われていたり、夜道を一人で歩かないとか 気を遣ったことが懐かしく思います。

今は、金融エンジニアの看板を下ろし、ごく普通のコンピュータ屋として仕事をしています。

もちろん、ヤバい人もいませんし、恨みを買うようなシステムを構築していません。

もう、20年以上前の話なので 解禁してもいいかなと思いましたが、当時は、家族も含め緊張の連続だったこととも思い出しました。

今や、商品先物取引の世界も大きく変わり、金融業界は、AI取引が数年前から中心になりました。
昭和の時代のヤバい雰囲気などなくなると同時に消えていった会社も多いです。

確かに面倒で、うっとうしくて、怖くて、やまかしくい時代でしたけど
人は、賢明に生きていたような気もします。

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